【吉田松陰曰く】学問の大禁忌は作輟(さくてつ)なり

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慧すけ(秋山慧介)

2017年9月より、生き地獄といわれる税理士試験に挑戦する管理人慧すけが、日々の思いを赤裸々に綴っております。 姫路の秋山税理士事務所(相続専門)に所属。2019年4月より大阪産業大学大学院(梅田サテライト)へ進学。 現在164記事を投稿中!

 

明治時代の武士であり思想家でもある「吉田松陰」は、後の明治維新で重要な働きをする高杉晋作や、明治以降に総理大臣となる伊藤博文・山縣有朋などの層々たる面々に多大な思想的影響を与えた人物として有名です。

この吉田松陰が遺した言葉「学問の大禁忌は作輟なり

この言葉は江戸・明治を生きてきた武士達のみならず、現代を生きる僕たちにとってもとても重要な意味を持つ言葉となっています。

学問の大禁忌は作輟なり

この言葉の意味はこうです。

学問を修めるうえで絶対にしてはならないことは、やったりやらなかったりすることである(作輟=やったりやらなかったりすること)

やったりやらなかったりという、こんな曖昧な言葉を表現する漢字が存在していたこと自体にまず驚いたのですが、それ以上にこの言葉の意味は僕の心に響き、同時に僕の心に棘を刺す言葉でもありました。

 

自分自身の行動を振り返って思うこと

この言葉の意味の〝やったりやらなかったり〟というのは何を指すのか。

僕が思うには、1か月続けて来た勉強がスランプに陥ったことにより数日間勉強の期間が開いてしまったとか、全力で頑張った末に点数が振るわずモチベーションが一時的にどうしても上がらないとか、そういった時の状況を指しているのでは無く、

・なんとなく今日は気分が乗らないから

・ちょっと今日はいつもより忙しかったから

・友達に誘われたから

だから今日は勉強をしなくてもいいや!

 

という普段何気無い生活の中での些細な自分自身の弱さ。

大きな失敗やそれに伴う大きな停滞ではなく、日常的な些細なことを言い訳にした少しづつの停滞を表している言葉だと思います。

何かを志し、勉強をするならば、それを必ずやりぬくこと

日常の些細な出来事やストレスを言い訳に、やったりやらなかったりをするくらいならば、そもそも勉強などしない方がいい

吉田松陰先生はこの言葉の中に恐らく上記のような思いを込められていたと思います。

この言葉は勉強を始めてからの僕自身にとてつもなく響く言葉です。

そして、何となく気分が乗らないからと勉強を一日休んでしまうような僕の姿を見られているのかと思うくらい耳が痛い言葉でもあります。

 

弱い人間の闘い方とは三日坊主の自分を誇りに思うこと

何かを志し、勉強をするならば、それを必ずやりぬくこと

日常の些細な出来事やストレスを言い訳に、やったりやらなかったりをするくらいならば、そもそも勉強などしない方がいい

この言葉が持つ力はとても強く・精錬で誰しもがこの言葉通りに行動できる人間になりたいと望むでしょう。

しかし人は皆がみんな、この言葉通りの強い人間になれる訳では無いと思います。

・一度決めたことを三日坊主で止めてしまう人

・人の目がなかったらどうしても少しづつの停滞を繰り返してしまう人

・そしてそんな自分自身を否定してしまう人

こんな弱さを抱えた人の方が実は精錬・牢固な人よりも多いんじゃないのかと僕は思うのです。

 

三日坊主は悪くない。三日やったことを誇りに思い、今度は4日に挑戦しよう

そんな人に(僕を含めて)贈りたいのがこの言葉です。

三日坊主は悪くない。三日やったことを誇りに思い、今度は4日に挑戦しよう

つまり、何かを学ぼうと思いあなたは勉強を始めた。

しかしその意気込み持たず3日間は勉強を継続出来たが4日目はサボってしまった。

でもそこで、「自分は三日しか続かないダメなやつだ」と思わない。

吉田松陰先生の言葉の様な生き方は出来ないと思わない。

・自分は、新たなチャレンジを3日も続けられた

・今日は途絶えてしまったが、また明日から、もう一度頑張ろう! と思えばいいのです。

たとえ、その1つのチャレンジは3日しか続かなくとも、三日坊主であっても、

その自分を否定せず、肯定してそのチャレンジを続けていけば、気がつけば1年365日のうち300日は続けていたということになるのです。

1年のうち300日も続けられたことは、もう立派に「1年間やり続けたこと」といっていいでしょう。

瞬間的に見れば弱い僕たちの学問の歩みには作輟の時期があったのかもしれません。

しかしそんな僕やあなたの1年を振り返ってみれば、立派に1年間の学問をやり切った道が見える筈です。

この世界には強く正しく生きられる人ばかりではない。

弱くてもいい、三日坊主でも悪くない。

一度立ち止まってしまっても三日続いた自分を肯定して、もう一度進めばいい。

そうして積み上げた日々、それはもう「やったりやらなかったり」ではなく、

もう十分に「やり続けたことである」と僕はそう思います。

 

まとめ

一番大事なことは、一度掲げた目標を半端な状態で諦めてしまわないことです。

悔いの残る状態で終わらせてしまわないことです。

作輟の時期があったとしても、一度は立ち止まってしまった時期があったとしても、その目標が自分にとって大切なモノなら歩き続けましょう。

心残りとなっているのならば、再び歩き出しましょう。

歩き続ければいづれ必ずゴールに手が掛かる筈です。

歩き続けていればいつか必ず思いを成し遂げることが出来ると僕はそう思います。