〝税理士受験生 慧すけ〟のプロフィール

秋山慧介(あきやまけいすけ)

兵庫県姫路市の秋山税理士事務所に所属
2017年9月より税理士受験生として資格の大原(神戸校)に通学中

 

これまでの人生

 

・1985年生まれ、大阪府の高槻市にて幼少期を過ごす

・4歳の頃に兵庫県に移住、何のトラブルも無く平和にノビノビと育つ

 

ここから下はネガティブな情報が流れ込みますが、僕という人間を語る上で避けては通れない話題ですので、ご容赦下さい

4歳の頃からアトピーを発症する、この頃は軽度な症状だったので、同年代の友達と楽しく過ごす 

小学3年生の時にアトピーが劇悪化し、日常生活を送るのが困難になった為、某有名な四国の病院で母親と一緒に人生で初めて1週間の入院→皮膚は驚く程すぐに綺麗になり退院する

・この後の小学校3年~高校1年生までの間は、ステロイド・ワセリンを塗りたくる事で肌は常に浅黒かったが、表面的な状態は良くなっていたので、定期的に少しの痒み等がありつつも楽しい青春を過ごす

 

2回目の劇悪化が高校1年生の9月に起こる。再度四国の病院で半月入院→皮膚は綺麗になり退院

・再び高校1年の後半~大学2回生の頃まで、ステロイドを塗りながらも皮膚の状態は、少しアトピーがあるのかなという状態であり、日常的な痒みもそれ程無かったので楽しく青春を過ごす

大学2回生(20歳)の頃には、もう今まで使っていたステロイドが効かなくなり、慢性的に皮膚が悪化している状態になる。 将来に絶望し、その時にネットで見た「脱ステロイド」にキチンとした知識も無く、安易な気持ちで挑戦してしまう→ここから悲劇の始まり

 

今まで薬で抑えていた症状が一気に爆発し、歩行も困難な程に全身悪化するが、もう某病院には頼る気になれず、ひたすら出口が見えないトンネルをさ迷うかの様に、家族と大学の学部の友人一人以外とは一切の連絡と関係を断ち、死ぬ勇気が無いから生きているという状態で日々を過ごす

 

大学の友達の助けで、試験期間前になると試験範囲の部分のノートを大量にコピーさせて貰い、試験範囲を教えて貰ったお陰で、その時期だけステロイドを塗り、人目を避ける様に大学に行き試験を受ける。2回生までで単位を頑張って取得していた事もあり、なんとか1年留年するだけで大学を卒業出来るだけの単位が取得できる

 

23歳の11月の時に全身劇悪化の引き金となる「脱ステロイド」を一旦辞め、もうほとんど効かなくなってきているステロイドを塗りたくりながら、かなり遅い時期からの就職活動を始める

 

翌年の2月に地元の会社の総合職で採用されるが、常にアトピーが悪化している状態なので、仕事にも身が入らず・夜も全身が痒くて眠れず、心身ともに限界の状態だった為、結局4月入社の会社を11月で辞める

 

24歳~25歳の間、ただひたすらにアトピーを治す事だけを考えてネットを読み漁る毎日を送る

 

25歳の頃に当時は「潰しがきく資格1位」だった簿記2級を自分の自宅の部屋で勉強し、なんとか合格をする(試験当日は6月の暖かい日だったが、腕と首の酷いアトピーを隠すために長袖タートルネックを着た状態で試験会場で受験した)

 

2011年の26歳の11月頃に、アメリカに渡りオレゴン州の専門医の治療によってアトピーを完治させる事が出来たというブログを発見する。1週間程かけてそのブログの全記事を読み込み、もう20年以上苦しんで来たこの身体のアトピーを治せる可能性があるのは、この治療しか無いと確信する

 

その後、両親の援助を受け、翌年の2月にアメリカのオレゴン州へ渡る為の準備を始める

 

26歳の2012年2月にアメリカのオレゴン州へ渡米しケアホームに滞在しながら1か月の治療を受ける
 →体内のアレルギー疾患と皮膚表面の疾患の両方向からアトピー性皮膚炎に対しての治療アプローチを受ける

 

1か月後に帰国。この時にアメリカに渡る前の皮膚の状態が-100だったとすると、帰国した時点で+80位の状態にまでなっていた。その後自己ケアを進めながら(今までの日本での治療とは違い、ステロイドやプロトピックをひたすら塗りたくる様なケアではない)
2度と地獄の様な日々に戻りたく無いという強い思いから、完全に皮膚の状態が良くなるまでは家からほとんど出ず、
自宅で1人で出来る個人事業として実家でクラウドワークや物販を始め、少額の稼ぎを得て家にお金を入れながらも目標も無く人生を浪費しながら生きる

 

・28歳になりアトピーがほぼ完治する
この頃、個人事業で始めていた物販がそれなりに軌道に乗っており収入もあったが、この仕事を一生の仕事としていいのかと疑問に思いながらも事業を続ける

・2015年になり、僕が30歳の時に父親が兵庫県の姫路市で相続税専門の税理士事務所を起ち上げる

 

・自分の個人事業もしながら、簡単な経理や事務所のHP制作等のweb営業・雑務要員としてほぼ無給で父の元で働く(開業直ぐなので当然お客さんもまだ全然来ない)

 

・2016年になり、事務所にお客様からの問い合わせ・依頼が増えだす。
徐々に忙しくなり始め、お客様との打ち合わせに同席したり、相続税の手続き等に触れる機会が多くなる。

 

自分の中での転換点

父の事務所で働いている内、ここから3つの自分自身の中での意識の変革が起き始める

1、父の知り合いの方達は、普通に僕1人の力では会う事も話す事も出来ない様な肩書の方ばかりで、そういう方達と話を交わすうちに税理士・司法書士・弁護士という士業の仕事に興味が湧いてくる

 

2、お客さんが訪問された際に僕自身も同席や簡単な雑用等をしていた。

その際当然と言えば当然なのだが、相手の視線は皆代表税理士の父にだけ向けられていて、そんな瞬間は自分はただのお手伝いAという、お客さんからしたら居ても居なくてもどうでもいい存在なのだなと思う時がしばしばあった。

父に相談をしたくてお客さんは来られているのだから至極当然の事なのだが、今まで家で引きこもって1人で仕事をして来た、1人きりが当たり前になっていた自分の心に、その時から誰かに自分という存在を認識して欲しい、認めて頼って貰いたいという誰もが持つ承認欲求という物が、10年振り位に再び自分の人生に戻って来た気がした。

 

3、父が事務所にいない時や事務所を退所された後に事務所に電話が掛かって来た場合、自分が対応するのだが、電話を掛けて来る方の中には、本当に税金の申告期限的にひっ迫され、焦り・不安な様子の方もおり、父に直ぐに取り次げない時には、僕が取り敢えずの簡単な要件等を聞いていた。

しかし僕が出来る事は、相手の困っている声をメモし、改めて父に伝えるという事しか出来ず、僕自身にお客さんの悩みを解決出来る知識と税理士という資格があれば、今この瞬間に安心したいと思っている相手の方を助け、不安を解消し心の支えになってあげられるのにな・・・と思う事が何度もあった。

 

このような3つの意識の変革、特に3番目を経験する事により、
「税理士となって困っている人に直接手を差し伸べる事が出来る人間になりたい」
「父の元で働くお手伝いAとしてでは無く、1人の頼れる専門家として認めて貰いたい」

という思いが溢れて来て、そこからは直ぐに税理士試験について情報を収集しまくる日々に移っていくのでした。

 

 

2017年9月以降の略歴

2017年9月に資格の大原に入学
税理士試験の必須科目である簿記論財務諸表論の勉強を始める

 

 

 

個人プロフィール

 

◆生年月日   : 1985年10月29日生まれ

◆身長・体重  : 170cm 60kg

 

◆血液型    : A型

 

◆長所     : 怒りの沸点がメチャクチャ高い所

 

◆短所     : 何でも自分1人で物事を解決しようとしてしまう所

 

◆好きな人   : 物腰の柔らかい人 笑顔の多い人 多少頑固でも自分を持っている人

 

◆苦手な人   : 怒りの感情を頻繁に見せる人 アポイントという概念を持っていない人

 

◆好きな言葉  : 青は藍より出でて藍より青し

 

◆好きな食べ物 : お寿司   /   うなぎ / すき焼き /      和菓子 / 東南アジア系の食べ物

 

◆はまっている物: コンビニ・スーパーの低糖質食品

 

◆嫌いな食べ物 : アメリカのスーパーで買って食べた生ぬるいドリアン

 

◆好きな映画  : フォレスト・ガンプ / ショーシャンクの空に / 風立ちぬ / ビッグフィッシュ

 

◆影響を受けた本: 太宰治 『葉桜と魔笛』